昨日は、「生きる」ということ、
その対極にあり、表裏一体になっている「死」について、
いろいろと考えさせられる日だった。
午後からお袋に会いにいった。
お袋は、父のお墓参りに行きたいというので、
二人でお墓にいった。
父がなくなって、4ヶ月。
お袋はお墓の前で涙ぐんでいた。
その後、親戚の家にいった。
お袋の従兄に当たるその人は、80才をとうに超え、
やはり80を超える奥さんと二人暮し。
奥さんは腎臓に持病を抱え、人工透析を受け、
腰痛を持ち、しかも認知症。
その奥さんを、だんなさんが面倒を見ている、
典型的な「老老介護」だ。
最近になって、ご本人がめまいに苦しんでいる。
もうこれ以上は奥さんの面倒を見ていられないと判断して、
施設に入れることになったという話をしていた。
人工透析をしていると受け入れてくれる施設がなかなかない、
有料老人ホームは、入居するにはとんでもなくお金がかかる、
二人一緒に入れてくれるとこがない。
自分の息子は川崎に住んでいるのだが、
奥さんのお母さんが94歳で、
そちらの面倒を見なければならない。
いつも気丈なおじさんが、
「人間長生きも考え物だぞ。。」と珍しくこぼしていた。
それに対してお袋は、
「うちのお父さんは引き際を知っていたのかも。」
と言っていた。
家に帰って、嫁さんがある番組を見ていたので一緒に見た。
その番組は。
TBSのドキュメンタリー
愛と生命と涙の全記録「余命1ヶ月の花嫁」~乳がんと闘った24歳最後のメッセージ
http://www.tbs.co.jp/program/cancersp_20070718.html
余命一ヶ月の花嫁を追ったドキュメンタリー。
彼女の言葉一つ一つが、生きることのすばらしさを訴えている。
「明日が来ることは奇跡。そのことを知っていることは幸せ。」
彼女の一日はとても濃厚。些細なことが嬉しい。
そして、彼女は逝ってしまった。24歳で。
周りの人々から愛されつつ。
僕は余命を宣告されていないし、
嫁さんも優太も、宣告されていない。
しかも嫁さんのお腹の中には新しい命がいる。
それはとても素晴らしいこと。
そのことをもっと喜ぶべきだし、
生きていること自体、喜ぶべきことなんだろうな。
そんなことを考えた休日でした。